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「どうしたんですの?何かあつたんですか」
すると、徳次はびつくりしたやうな眼で房一を見やつた。
やつと、徳次は感心した。青島陥落はついこなひだのことで、その時は徳次も提灯ちやうちん行列に出たのである。
これでは房一も後もどりしないではいられない。馬は今片耳を後に立て、時々それを動かせていた。それは見ているだけでも美しい生き物だつた。房一にはしなやかなだが強い張りのある首が疾駆の時にどんなに強く前傾し、どんなに直線的になるか、どんなに風を切り、どんなに躍動するか、まざまざと目に浮ぶやうであつた。
練吉は小面倒なことが大嫌ひだつた。それに、正雄の父親として世話を見てやるなどは不似合だと自分でも思つていた。が、そんな風に彼自らだらしないと自認していたにもかゝはらず、練吉にはやはり良家の子弟らしい身だしなみのよさと一種の潔癖さが現れていた。そして、この点にかけては、彼も茂子に対する正文夫婦の見方に同意していた。
と、小谷が云つた。
「あら!いらつしやいませ。ようこそ。――ほんとうに、よくまあ!」
房一は生返事をしてからふり向き、うなづいて見せた。彼はよく聞いてはいなかつた。
「やあ。先日はどうも」
房一は苦笑した。とにかく珍客にはちがひなかつた。そして、たつた今さつきまで房一は彼等のお見舞ひでわれ知らず興奮し、緊張し、それからあの半シャツの男と言葉の上でなく、眼と眼で、構へと構へでやりとりした、それが突風の去つた後のやうな軽いあつけなさを残していた。
「へえ、いえ」
房一は目を上げて注意深く道平を見た。
で、この間に、いくらかそゝつかしいところのある、換言すれば、済んだことにはあまり気をとられない現実的な気質の房一は、たつた三十分前に盛子から聞いたときのあの驚きを忘れていた。一先づ用は片づいた。今日は別に往診もなかつた。で、かういふときの癖で、彼のあのはまりのいゝ廻転椅子に身体をうづめ、ぼんやりとした考へに落ちたのである。