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房一は急いで膿盆をひきよせた。
「もう帰つたんかね」
今度は正文の方で答へなかつた。そして急に苦がい顔になつて、ぢろりと薬戸棚を見まはしただけで母屋おもやの方へ帰つて行つた。
「高間さん、ひとつ何とかして引上げさせて下さい。このまゝでは――」
「いいや、子供は助かった代りに看病かんびょうしたお松が患わずらいついたです。もう死んで十年になるですが、……」
河原の端にある高い築堤の上で、白い割烹着かつぽうぎを着た女が、口に手をあてて何か叫んでいた。
房一はきつぱり云つた。男は、これは話が判る、といふやうな顔をした。それに押つかぶせるやうに、
と云ふ、思ひがけないほどはつきりした声で差し出した。そして、又淡泊なさつさとした足どりで台所の方へ去つた。
「おぢいさん。これを主人うちが着るんですよ。主人ばかりぢやない、町の戸主はみんな!それこそ、代人はできないんださうですよ。そして、御神輿おみこしの後について町中を行列して歩くんださうですよ。――まあ誰が考へ出したんでせう!さぞいゝ恰好でせう!ねえ」
と、盛子が傍から又さつきのをかしさを思ひ出したらしく、そつと注意した。
「さあ、どうぞ。仇かたきの家へ行つても朝茶はのめ、と云ふことがありますよ。お茶ぐらいはのんでもらはんと――」
「やあ。先日はどうも」
「何でも大分前からこゝの御隠居にかけ合つていたさうぢやありませんか」